北米最高峰マッキンリー!改名「デナリ」!標高3m低い?

マッキンリー(デナリ)

米ホワイトハウスは8月30日、アラスカ州にある北米大陸最高峰マッキンリー山を「デナリ」に改称すると発表しました。

「デナリ」とはアラスカの先住民の言葉で「偉大なもの」という意味で1975年には、アラスカ州政府が既に採用していました。

目 次

・政治で呼び名が翻弄
・ころころ変わる標高
・冒険の歴史
・2015年6月21日 – イモトアヤコ、日本テレビ撮影隊が登頂・下山

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政治で呼び名が翻弄

ゴールド・ラッシュに沸いた当時のアラスカの大統領候補、「ウィリアム・マッキンリー」にちなんで名付けられました。

マッキンリーという呼び名は、1975年にデナリとすることをアラスカ州政府が決定していたのですが、マッキンリー氏の地元オハイオ州の議員らが反対したことで、連邦政府はマッキンリー山と呼び続けてきました。

なんとも傲慢な話です。

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ころころ変わる標高

「デナリ(マッキンリー)」の6194メートル「約6193・5メートル(2万320フィート)」という標高は、1952年に写真測量技術を使って測量された標高です。(1フィート=30.48cm)

9月2日、米地質調査所(USGS)は、米アラスカ州にある北米大陸最高峰「デナリ(マッキンリー)山」の標高をあらためて調査した結果、約6190・4メートル(2万310フィート)だったと発表しました。

これまでの約6193・5メートル(2万320フィート)より10フィート(≠約3メートル)低い標高であることがわかったのです。

最新の標高は、専門家が6月に山頂まで登山し、衛星利用測位システム(GPS)を使って割り出しまています。

GPS

デナリ山頂でGPSの機材を使い、標高データを集める米地質調査所などの測量チーム要員

勿論、山が縮むんだわけではありません。

異なる標高

計測方法で標高はさまざまに唱えられてきました。

2年前の2013年9月11日、アンカレジで開催された国際古地図収集家協会のシンポジウムで、アラスカ州のトレッドウェル副知事は、新しい測量技術を使って測定した結果、実際の標高は6168メートルだったと発表しました。

 北米最高峰のマッキンリー山の標高が、従来信じられていた6194メートルよりも83フィート(約25メートル)低かったことが明らかになていたのです。

米内務省地質調査部とアラスカ州がレーダー測量システムを使った測量したものです。

もっとも地元の人たちは、「デナリ(マッキンリー)」が多少低くなったところで気にもとめていないようです。

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冒険の歴史

同山は1984年2月に冒険家の植村直己さんが世界初となる冬季単独登頂後、行方不明となったことで知られています。

  • 1903年、フレデリック・クックにより初登頂されたと報じられたが、1909年にクックに同行したエド・バレルにより否定された(ただしバレルは、北極点初到達でクックと争ったロバート・ピアリーにより大金で買収されていたことが分かっている)。(wiki)
  • 公表の初登頂は、1913年6月7日の宣教師のハドソン・スタック、ウォルター・ハーパー、ハリー・カーステンス、ロバート・テータムの4名です。(wiki)
  • 1947年には、バーバラ・ウォシュバーンが女性として初めて頂上到達に成功しています。(wiki)
  • 1970年8月26日(単独初登頂) – 植村直己 (五大陸最高峰、世界初登頂成功)
  • 1976年(南西壁ルート初登頂)- ラインホルト・メスナー、ブーレ・エルツ
  • 1984年2月12日(冬期単独初登頂)- 植村直己(下山時遭難、行方不明)
  • 1988年3月7日(初の冬季単独登頂、下山) – Vern Tejas氏
  • 1989年2月23日 – 冬季登頂に挑んだ山田昇、小松幸三、三枝照雄が遭難死
  • 1998年3月8日(日本人初の冬季単独登頂、下山) – 栗秋正寿
  • 2015年6月21日 – イモトアヤコ、日本テレビ撮影隊
    「世界の果てまでイッテQ!」(日本テレビ系)は「イッテQ!登山部~マッキンリー登頂プロジェクト!~」と題し、イモトアヤコが北米最高峰のマッキンリー登頂に挑んだことは記憶にあたらしいです。
イッテQ

イモトアヤコがマッキンリー登頂を目指した日本テレビ系「世界の果てまでイッテQ!」2015.7.26放送

遠征期間20日、片道の歩行距離25キロ、高低差4000メートルという過酷な行程。ポーターが使えず自ら重い荷物を引き上げ、雪に隠れた危険なクレバスに注意し、高山病対策のためキャンプ間の上り下りを繰り返し、高所への順応性を必要とする本格的な登山だった。
 高度が上がって酸素の薄さで足が重くなり、追い詰められたイモトは「吸っても空気が入ってこない。何だここは、人が来ちゃいけない場所じゃないか」と嘆いた。
そして「空気の薄さって画面で伝わるかな、伝わってます?見てる人」とつぶやいていると、同伴のディレクターが「いいから登れ!」と一喝する。それに対しイモトは「今リポートしてんだよ! オメエがしゃべれって言ったからしゃべってんじゃねえか。本当はもうみんな限界だよ! 絶対負けねえよ、こんな坂」と、極限状態で感情をあらわに。
それでもなお自身を鼓舞し、急斜面を一歩ずつ登り続ける姿に胸を締めつけられた。
愚痴もこぼす、腹痛に苦しむ、決して特別な能力を持つ専門家ではないイモトが、6168メートルの頂までたどり着く姿にただただ見入った。
「松田健次氏(放送作家)」

 OTARD-KEN 

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