ベトナム戦争時!韓国軍兵士の蛮行!ベトナム女性訴え!

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韓国軍

ベトナム戦争に参加した韓国軍兵士に非人道的暴行を受けたなどと訴えているベトナム人女性やその家族らが、訪米中の朴槿恵・韓国大統領らに対し、韓国政府による謝罪と賠償などを求める請願書を提出したと発表しました。

「私たちのことが忘れられてしまう。正式な謝罪もなく数十年が経った」などと訴えています。

目 次
・韓国の蛮行
・韓国歴史学者による調査
・韓国軍憎悪碑
・ライダイハン
・アメラジアン
・韓国の謝罪
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米国の支援団体「ベトナムの声」がワシントンで記者会見し、被害にあった女性4人(60~74歳)と韓国軍兵士と被害女性の間に生まれた男性(45)らがベトナムからのネット中継で謝罪を求めました。

また、15日付の米紙ウォールストリート・ジャーナルに意見広告を掲載。

レイプ被害にあったという女性4人が顔写真付きで登場し、朴氏に対し「謝罪すべき時です」と呼びかけています。

ベトナムの声-意見広告

ベトナムの声-意見広告

 

韓国の蛮行

『被害者史観韓国を揺るがすベトナム民間人虐殺の加害責任(佐藤和):SAPIO(2001.9.26号)』より

ベトナム戦争が終わり、南北ベトナムが統一して既に四半世紀が通ぎた。
そして韓国ではここ数年、あの戦争をめぐり長らくタブーとされてきた過去について、かつてない議論が進められている。
その過去とは、ベトナム戦争に参戦した韓国軍によるベトナム民間人の虐殺問題だ。

この時期に、ベトナムへ戦争当時の韓国軍の残虐行為については、韓国国内で、既に議論になっていたことをうかがわせます。

 

韓国歴史学者による調査

最初にタブーを破ったのは、韓国のハンギョレ新聞社が発行する週刊誌『ハンギョレ21』だった。
同誌は1999年、韓国軍がベトナム戦当時に起こした虐殺事件について記事を掲載したのだ(5月6日号)。
この記事を書いたのは、韓国人歴史研究者のク・スジョン。
彼女はベトナム戦争の韓国軍の残虐行為が記されたベトナム側の資科を入手し、韓国の市民団体の一行とともにベトナム現地で検証を始めたのだ。
ある地域で、猛虎部隊(韓国軍部隊)等による1か月間の作戦で1200名もの住民が虐殺されたという66年当時のベトナム側の報告を紹介しながら、同時に生存者たちの証言に基づき虐殺の様子を具体的に描いている。

  • 大部分が女性や老人、子供たちである住民を一か所に集め、機関銃を乱射。
  • 子供の頭を割ったり首をはね、脚を切ったりして火に放り込む。
  • 女性を強姦してから殺害。強姦しながら拷問。妊産婦の腹を、胎児が破れ出るまで軍靴で踏み潰す。
  • トンネルに追い詰めた村人を毒ガスで殺す……等々。

日本の戦争責任を追及してきた韓国の人々にとって、自国軍が虐殺をしていたのだという告発は、苦いものであったに違いない。

 

韓国の歴史研究者「ク・スジョン」さんが、調査のために、ベトナムに渡り、慰霊碑に献花しました。

ク・スジョン

民間人虐殺犠牲者慰霊碑を示すベトナムの子供たち(上)。慰霊碑に献花するク・スジョン博士(下)

韓国軍憎悪碑

憎悪碑には次のように刻まれている。

「天をつく罪悪、万代に記憶するだろう!この虐殺で犠牲になった者の数は合計430人、そのうち268人は女性、109人は50才から80才まで老人、82人は子供、7人は妊婦だった。2人は生きたまま火に投げこまれ、1人は首を切られ、1人は腹を割かれ、2人は強姦された。2世帯は一人残らず抹殺された。」

 

ライダイハン(wiki)

ライダイハンとは、大韓民国(以下、韓国)が、ベトナム戦争に派兵した韓国人兵士による現地ベトナム人女性に対する強姦などの性行為によりもうけられた子供、あるいはパリ協定による韓国軍の撤退とその後の南ベトナム政府の崩壊により取り残された「敵軍の子」の意味で、迫害された。

ライはベトナム語で「混血」を意味し、ダイハンは「大韓」のベトナム語読みであるが、「ライダイハン」という語そのものがベトナムの公式文書に現れる例は少ない。

韓国では、ベトナム語からの借用語として取り入れられ、「ライタイハン」のように発音される。

ベトナムと韓国が1992年に経済交流を再開して後に発生した混血児は「新ライダイハン」と呼ばれる。

ライダイハンの総数は、3万人ともいわれています。

 

アメラジアン(wiki)

戦時下のベトナムにおいては、アメリカ軍兵士とベトナム人女性との間にも多くの二世が産まれた。

一説には1万5千人ないし2万人と言われる[誰によってかは不明]。

統一後のベトナムでは、当初、ライダイハン同様に「敵国の子」とされ、迫害の対象となった。

1987年にアメリカ政府は混血児とその家族の移住を受け入れ始めたが、なおベトナムに留まる者も多かった。

しかし、その後、越中戦争(中越戦争とも)において中華人民共和国と敵対した関係から西側諸国とベトナムとの関係改善が割合早期に行われたことなどから、ライダイハンほど激しくはなく、ドイモイ以降の政府の親米路線により激しい迫害は見られなくなった。

 

韓国の謝罪

韓国政府の謝罪と支援は金大中(キム・デジュン)政権の時期に最も活発でした。

金大中

金大中大統領

1998年、ベトナム訪問当時「両国間の不幸だった過去について遺憾に思う」と謝った故キム・デジュン元大統領は2002年、韓国を訪問したベトナム国家元首に「不幸な戦争に参加し本意と違ってベトナム国民に苦痛を与えたことについて申し訳なく、慰労の言葉を申し上げる」と再び謝罪しました。

しかし、帰国後に軍や関係者の反発を恐れて、即座に謝罪を撤回しております。

 OTARD-KEN 

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